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首振りDolls、憧れの鮎川 誠と鼎談! ジョニーとナオが感銘を受けたロックレジェンドの最高にカッコイイ生き方とは

  • 2020年 07月29日 23時00分
  • 提供元:OKmusic
首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談 (okmusic)

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首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談 (okmusic)


「俺たちをみつけてくれたんね。ありがとう」

憧れが溢れ返り、緊張からの体の硬直と震えが止まらなかったジョニー・ダイアモンド(首振りDolls・Gu)に、鮎川 誠がかけた第一声は、どこまでも優しく、あたたかな言葉だった。



ジョニーが自らのギターバイブルとし、今もその音を自身の基盤にしているとして1位に掲げる1975年にリリースされたサンハウスの1stアルバム『有頂天』は、鮎川がシーナ&ロケッツ結成前にギターを務めていたバンドである。ジョニーが愛して止まないそのサウンドは、鮎川が今から45年も前に生み出したものであるが、現在もその音は錆びることを知らず、輝きを増し続けながらロックシーンを牽引し続けている。



日本のロックシーンの先駆者・鮎川 誠に対し、“ギタリスト対談”というにはあまりにも分不相応であり、先輩と呼ぶにも烏滸がましいのだが、鮎川は、シーナ発信で地元(北九州・若松出身)に立ち上がった高塔山ジャムで、同じステージに立った経験があるという同郷の首振りDollsの音を、“最高にカッコイイロックよね。バンド名もNew York Dollsみたいでカッコいいし。すごくいいね”と評価しながら、ロックへの憧れに目を輝かすジョニーと、後半からインタビューに参加したナオ(首振りDolls・Vo&Dr)に終始目線を合わせ、自らが歩んで来たロック人生とロック・スピリットを語ってくれた。



ジョニーとナオが感銘を受けた、ロックに選ばれた男・“ロックレジェンド鮎川誠”の最高にカッコイイ生き方とはーー?

バンドは1番音が大事やけね。 俺たちは音に魅せられて バンドマンになったんやから

――ジョニーにとって、鮎川さんは、日本のギタリスト界の神であり、尊敬して止まない憧れの存在ということで、極度の緊張状態にありますが、どうぞよろしくお願いします。

ジョニー:よろしくお願いします!

鮎川:こちらこそ、よろしくお願いします。

ジョニー:【ギタリスト対談】というにはあまりにもおこがまし過ぎるので、とにかく、“好き”という想いをお伝え出来たらと……。『ギター・マガジン』(リットーミュージック刊)7月号の特集『完全保存版・ニッポンの偉大なギター名盤100』でもサンハウスの1stアルバム『有頂天』を1位に上げていたほどのリスペクトなんです。

鮎川:それはどうもありがとう。嬉しいよ。

ジョニー:いや、もう、そんな! こちらこそ、本当に尊敬してます! ハタチくらいから、はい……はい(緊張マックス状態のジョニー)。

鮎川:俺たちをみつけてくれたんね。みつけてくれてありがとう。

ジョニー:はい! 地元が北九州なので。

鮎川:そうやね。北九州の人達は、サンハウスとかシナロケ(シーナ&ロケッツ)をよく聴いてくれるよね。もう何回目かいね? シーナの地元の北九州・若松の高塔山ジャム(北九州・若松出身のシーナの「高塔山でロックがしたい」という一言から、2004年に始まったロック・フェス。現・高塔山ロックフェス)。20年前くらいに、“ここでロックフェスやりたいね”ってみんなで言うてたら、それがすぐに実現したんよね。

ジョニー:3回くらいご一緒させて頂いて。

鮎川:うん、知っとるよ。シーナがまだおるとき、一緒にしたよね。

ジョニー:あのとき、アンコールで一緒のステージに立たせて頂いたんです。鮎川さんの後ろで。

鮎川:ギター弾きよった?

ジョニー:いやいや、鮎川さんがギターを弾かれているのを後ろから見てました! アンプの前に居ました!

鮎川:そうね。あのアンプ、もう40年くらい働きよるけね。すごいよね。

ジョニー:最高に音がカッコいいです! 憧れの音です。

鮎川:そう。ものすごくいいんよ。

ジョニー:あのとき、たしか、アンプのツマミが全部10だったんです!

鮎川:うんうん。10はね、ロックを始めるときの基本なんよ。俺が17か18の頃、いや、もう19になっとったかね? 本を読んで、ジェフ・ベックが、アンプはこげんするとかさ、デヴィッド・ギルモアのアンプの使い方だとかさ、マイク・ブルームフィールドは、ベースは0にして、トレブルだけ10にするとか、全部インタビューで読んで、その通りに云い伝えというか、言伝よ。でも、マーシャルは2でもものすご良い音なんよ。2から10まではあんまり変わらんのよ。

ジョニー:はい。急に音がデカくなりますよね。

鮎川:そう。ちょうど2.5くらいでやってくるんよ。そんときはもう裸のギターの音がする。カリカリしてね。その後はずっと圧縮されたような、リミッターがかかったようなディストーションやけ。昔、ロックンロールをラジオで聴きよった頃には、放送局でリミッターをかけるから、そやけんワッフワッフワッフちゅうビートがくる。マーシャルがカッコイイのはディストーションやけ。俺は他のアンプは、そんなには知らんけど。

ジョニー:じゃあ、ずっとあのアンプなんですか?

鮎川:そう。ずっとあのアンプ。1987。昔、ラモーンズと対バンしたときに俺は国産で新品の50ワットくらいのアンプやったけど、ラモーンズはマーシャルで。全然音が違って、悔しくてね。それから新品のマーシャルを買ったんだけど、それは今サブで、メインで使っとるのは、知り合いが勧めてくれた古いマーシャル。それは本当に音が全然違って。音を出した瞬間に“これ買う!”ってなったくらい衝撃やって。「ピンナップ・ベイビー・ブルース」をそれで弾いたら全然違った。お気に入りの音やけ。やっぱりバンドは1番音が大事やけね。俺たちは音に魅せられてバンドマンになったんやから。



ジョニー:本当にそうですね! 最高の話ですね。いいなぁ、俺もそういうアンプに出逢いたいです! レスポールカスタムと一緒にですか?

鮎川:うん。そう。いい音出しよるんを聴いて欲しい。毎回ライブちゅうのはさ、“やろう!”って、心では思いよるし、口でも言いよるけど、とにかく、このアンプを使って、このギターを弾くことが出来てただただ幸せやけんね。1回でも多くステージで音を出したい。

ジョニー:分かります! 音出してるときって、最高ですよね! もう、それだけでいいっていうか。鮎川さんがギターを始めたキッカケって何だったんですか?

鮎川:ものすごく遡るけど、10歳のときに、母親に“ギター買うて!”って、ねだってプレゼントしてもらったのが、最初。楽器屋さんに行って、1番か2番目に安かったギターを買ってもらったんよ。箱ギターで、鉄の弦が張ってあるやつ。

ジョニー:ガットギターですか?

鮎川:ガットギターの形をしてるんだけど、弦は鉄なんよ。スチールギターになるのかな? それと教則本を一緒に買ってもらったんよ。(弦が)1個だけの音だとちょっと頼りない感じなんやけど、2個の音が一緒に鳴るとすごくいいんよ。初めてギターを弾いたときのあの感覚は忘れられんよね。教則本を見ながら最初に弾いたのは、「シューベルトの子守唄」やったんやけど、それが弾きたかった訳じゃなかったから、なかなか上手く弾けなくて、結局そのまま放ったらかしにしてしまって。それから3年くらい経って、中学生になったときに、リトル・リチャードとかレイ・チャールズのレコードを、学校から帰って来て毎日聴いていて。リトル・リチャードの「Lucille」を聴いて、ギターを手に取って頭の中でループしている音を聴き真似で弾いてみたんよね。手を慣らす為にそればっかり弾いてた。それが1番最初。そのうちザ・ベンチャーズが流行りだして、エレキギターを持っとるクラスメイトが出てきはじめて。ギターの名人が俺の地元だった久留米の街にもたくさん出てきはじめた。それは高校になってからやったけど、いろんな人のところにギターを聴きに行かせてもらっとった。ザ・ビートルズを聴いたのがキッカケになってのめり込んで。アニマルズやローリング・ストーンズにも夢中になった。1964年にラジオでロック革命が始まったんよ。もうみんな、【自分がやるロック】になっていったんよ。人に雇われて“あーしろ、こう弾け”って言われとったバンドマンが、ザ・ビートルズのおかげで、周りから指図されんでもロックが出来る時代が始まった。ローリング・ストーンズは、それをもっと分かりやすくしていった。ジミー・リードの曲を歌詞を変えてエレキ用にチューニングアップして試してた。ブライアン・ジョーンズが、みんなに“こう弾いたらいいよ”って教えてた。初期のカヴァーアルバムなんてバイブルだよ。ブルースから生まれたロックのお手本。俺らはそれを聴いたんよ。高校3年のときにザ・ビートルズが日本に来てね。そのとき、板付空港(福岡空港)に不時着するっていう噂が流れたから、バイク飛ばして板付空港まで行ったんよ。夜のガラーンとした空港に、不時着の噂を信じた俺みたいな奴らが何人かおった(笑)。ザ・ビートルズの武道館ライブはテレビでも放送されたんやけど、1曲目にジョン・レノンがチャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック」を歌ったんよ。そのとき、3人がお客さんに背を向けて、おもむろにチューニングをしてたかと思ったら、誰も合図せんのに、3人がクルッと正面向いた瞬間に曲が始まって。そのときの感動は今も忘れんね。

ジョニー:最高の瞬間ですね!



鮎川:そう。それを見てた俺とは違う高校の奴らがバンドを組んどって、俺、そのバンドに誘われたんよ。ある日、本屋で立ち読みしとったら、“まこっちゃん! 見に来んね!”って、そいつらが練習しとった農家の納屋に連れて行かれて、“弾けるやろ”ってギター渡されて。“「デイ・トリッパー」知っとるやろ?”って言われて。

ジョニー:それが最初のバンドですか?

鮎川:そう。名前もよく知らん奴らとね。お互いのことは知らんのに、みんなザ・ビートルズだけは知っとった。さっきまで本屋で立ち読みしとった俺が、ザ・ビートルズの曲弾いてバンド組んどる!?っていう不思議。

ジョニー:すごいですね。音楽の力を感じるというか。

鮎川:そうね。それから1ヶ月後にある『サマービート』に申し込んだら当たって出られることが決まったけ、みんなで一生懸命に練習しよって。それが俺のバンドマンの始まり。

ジョニー:すごいキッカケですね。最初に使ったエレキギターってなんだったんですか?

鮎川:最初に買ってもらった鉄の弦のギターは恥ずかしくて何処にも持って行かれんかったけ、高校1年のときにテスコのT65っていうやつやった。アコースティックになったエレキギター。

ジョニー:フルアコですか?

鮎川:いや、フルアコではない。薄いやつ。グレッチみたいな指板がついてて、2マイクで、1カッタウェイ。友達から買うたんよ。高校生やし、お金なんてないから、修学旅行用に積み立ててたお金を先生に言って解約して、5、6万返してもらって、そのお金で買うた。4,500円くらいでね。それが俺の初めてのエレキギター。すごく気に入っとったんやけど、その時代はザ・ベンチャーズが流行っとった時代やけ、みんなは音がキャンキャンいうソリッドギターを持っとった。いろんなギターがあったよ、あの頃は。日本も活気があって、業界がいろいろと試してた。ヤマハもいいギター作ってたし、グヤトーンやテスコは手頃なギターをたくさん出していたし、モーリーやボイスフロンティア、ちょっとそこより遅く出たのは、ファーストマンやハニーっていう、本当にいろんなギターが出てきた。俺の最初のテスコのエレキギターは安モンやったから、あんまり良い音が出なくて。友達から借りた3マイクのグヤトーンのギターを使いよった。型番はなんやったかな? 忘れたけど。



ジョニー:何色だったんですか?

鮎川:ピンク色。

ジョニー:ピンク!?

鮎川:そう。ピンク色やった。いいねぇ、ギターの話は楽しいね。ギターの話やったらなんぼでも出来る(笑)。

ジョニー:はい! めちゃくちゃ楽しいです!

鮎川:楽しいね(笑)。

歌詞で言いたいことが 100年経ってもカッコイイか。 それを見ないと曲は作れない。

鮎川:久留米や大川は木工の街でもあるんよ。そやけん、ギターが田んぼの裏にいっぱい並べてあって。まだボリュームとかが乗る前(付けられる前)の、黒やら白やらいろんな色で塗られた土台がいっぱい干してあってね。ギターが大好きやから、そんな加工段階のものを見るのも好きで。ギターのフォルムを見るだけでワクワクする。

ジョニー:分かります!

鮎川:ちょっと変わった形のギター持ってる奴を見ると、“ちょっと弾かせて!”って、触らせてもらってた。ヤマハは職人が丁寧に作った感じが出てて、グヤトーンのギターは本当にロックンロールを感じるギターやった。

ジョニー:その当時、まだグレコはなかったんですか?

鮎川:まだそのときはグレコ無かったんよ。おっ、その話に行く?

ジョニー:是非っ(笑)!

鮎川:浪人して大学に入ったんやけど、まぁ、大学に入る目的っていうのもロックンロールがキッカケで、その頃中洲にアタックちゅうバンドがおったんやけど、そのバンドに入れてもらいたくて、定期券を手に入れる目的で大学に進学しようとしてたんよ。

ジョニー:すごい動機ですね(笑)!

鮎川:そう(笑)。そのころの九州大学は授業料が1ヶ月1,000円で。そこも魅力だったんやけど、とにかく目的は、なんとかアタックに加わることだけやった。毎日アタックに加わる夢ばっか見よって。浪人してやっと入った九大の入学式が終わった後、すぐに中洲まで行ったんよ。そしたら、後にサンハウスを一緒に組むことになる篠山さん(篠山哲雄)に、“おー、まこっちゃん! 久留米なのになんでここにおると!?”ってビックリされたんやけど、“久留米から福岡までの定期券を手に入れたんで、もうこれからは毎日中洲に来れるんです!”って言うたら、“そうね! ほんなら今から弾いていき!”って言われて。ヤッター!っていう感じやった。そこから、スペンサー・デイヴィス・グループの曲やら、ソロモン・バーク、ウィルソン・ピケット、ジェームス・ブラウン、フォー・トップスっていう、ローリング・ストーンズがお手本にしとるアーティストの曲をレパートリーとして練習したんよ。まだその頃の日本ではブルースは流行ってなくてね。エリック・クラプトンのクリームや、ジェフ・ベック、ヤードバーズやらローリング・ストーンズから広がっていって、進化形のホワイトブルースバンドにジミ・ヘンドリックスが入って火が付いて。ボブ・ディランやらもアメリカでブルースしおるしね、バターフィールド・ ブルース・バンド。それで世界中がホワイトブルースになったんよ。ちょうどその頃、深夜にやってた『ザ・ビート』っていうテレビ番組を見よったら、フレディ・キングっていうブルースマンが出てきて。ギターの持ち方が違うのに衝撃を受けてね。音がすごく伸びるギターを弾きよるときに、顔がキューってなって。“おぉ! 顔で弾くんや!”って、また衝撃で。

ジョニー:はい! はい! そうですね! たしかに顔で弾いてますよね!



鮎川:そう。その頃あたりから、いろんなレコードが輸入盤で入ってくるようになって、それまで夢にまで見た、空想でしか聴けなかったブルースマンの音が聴ける様になったんよ。1968年、1969年あたりかな。それで、サンハウスを作ったときに、最初に買うてもらった鉄の弦のテスコのギターを持ち出して、アンプのボリュームを10にして弾いたら、最高の音で、いつまでも消えなくてさ。フィードバックするんよ。本当に最高だった。そこからテスコのギターを復活させてね。俺たちも、ウッドストック・フェスティバルの後、1970年に集まってサンハウスを結成したんだけど、柴山さん(柴山俊之)や、浦田(浦田賢一)や奈良(奈良敏博)に出会ったのは、ちょうど1968年、1969年あたりやったからね。

ジョニー:…すごい。ロックの歴史そのものですね。

鮎川:ギター始めてから10年くらいを一気に話したよ(笑)。

ジョニー:ありがとうございます! ありがた過ぎます!



――鮎川さんは、サンハウスを結成されたとき、やはり目標はメジャーデビューというところだったりしたんですか?

鮎川:いやいや。当時は誰もそんなことは考えとらんかった。自分たちのレコードを出すなんて、誰もそんなこと思ってないんよ。そんなこと出来るわけないやんって。空想のまた空想でしかなかったから。だから、俺たちは毎日中洲でアンプ繋いで演奏するのが最高なんよ。いろいろと実験したり、新しいレパートリーを増やしてみたり。レッド・ツェッペリンの曲をやってみたり、ジェスロ・タルちゅうバンドの曲をコピーしてみたり。1番のお手本は、フリートウッド・マックだった。

ジョニー:おぉ! ピーター・グリーンのですね!

鮎川:そうそう。フリートウッド・マックのレコードは全部聴いた。昔はね、みんなバンドが目指したのは、大好きなアーティストに近づく様に練習したり、技巧を高めたりすることだったんよ。サンハウスが結成した頃あたりは、その街1番のバンドっちゅうのがおったんよ。長崎やったらキャンディーズとか、国士無双やらシンデレラやらっていうのもおった。

ジョニー:あ、名前聞いたことあります!

鮎川:当時、福岡にもバイキングちゅうバンドがおったんやけど、福岡のダンスホールに行かなくちゃ聴かれんバンドで。200円くらいの入場料で、毎晩そこのダンスホールでライブしよったと。久留米にもダンスホールが3つも4つもあった時代やったからね。【めんたいロック】っていう名前が付いたのは、一つのシーンに火を付けるための戦略だったというか。地元とロックを結び付けるキャッチコピーだったんだろうけど。もともとあった言葉ではなかったし。みんなロックは同じやけ。ロックは個人のもんやけ。街のためにロックするもんやないから。みんな、“俺のロックが分かってたまるか!”ちゅう想いでロックしよるから。本当に分かり合えたのがサンハウスのメンバーやった。その頃は、レコード出して売れたいとか、そういうんじゃなくて、みんなただただ音楽が好きでやっとったけ。その場所で音楽をする。そういう時代やった。



――すごく純粋ですね。今の時代も、メジャーデビューや売れることだけを考えずに、ただただ自分たちの好きな音を鳴らしたくてバンドをやっているバンドもいるとは思うんですけど、やはり多くはメジャーデビューや大きな会場でライブをやることを目標としてるバンドが多いと思うんですよね。鮎川さんご自身は、全く“売れたい!”“売れる為に上京したい!”という想いはなかったんですか?

鮎川:そうなんよね。昔、よく遊んでいた海援隊が東京に行くことになったり、チューリップが一足先に上京して、イカした曲をレコードにして出したのを見て、正直、“ふ〜ん”ちゅう感じやったんよ。みんな、レコード会社が上京後の生活も全部面倒見てくれるっていう条件で行ったんやけど、俺たちはそんなんは嫌やったんよ。みんなで家に集まってレコード聴いたり、パワー・ハウスっちゅう須崎のロック喫茶に好きなレコード持って集まったりするのが楽しかった。みんなブルースのレコードを持ってくるから、集まり過ぎて、1ヶ月に一回ブルースコンサートをしたりもしたんよ。ちっちゃい共有が嬉しかった。1人で聴くのとは全然違うんよ。

ジョニー:あぁ、なんかすごくいいですね。そういうの憧れます!

鮎川:ものすごく楽しい時間だった。1972年頃に、高田渡やら、今、3KINGS(鮎川誠、友部正人、三宅伸治)っていうバンドで一緒にやりよる友部正人やら、泉谷しげるやら井上陽水やら、カルメン・マキ&OZやらも出て、地元のバンドもたくさん呼んで初めて福岡でロックコンサートをしたんよ。僕らももちろん出て、いろんなバンドのカヴァーをやった中で英語が普通の感覚やったから、とくに日本語で歌うことは意識してはいなかったんやけど、ちょうどその頃、『ニューミュージック・マガジン』とかで、日本語の歌詞という、言葉を取り沙汰されていてのもあって。フォークとかロックとか、いわゆるニューミュージックが商業的な音楽ビジネスとして成長した時代やった。ある日、柴山さんがレシートの裏に“俺の身体は黒くて長い 夜になったらぬけだして 手当りしだいにはいまわる 俺のあだ名は キングスネーク俺のあだ名は キングスネーク”って書いた歌詞を俺に渡してきて。お、いいやん! って思ったんよ。

ジョニー:おぉ! 「キングスネークブルース」ですね!

鮎川:そう。俺は、レッド・ツェッペリンみたいなリフから行こうと思ってたから、ピッタリはまるなと。それがキッカケで日本語の歌詞で曲を作るようになったんよ。

ジョニー:「キングスネーク・ブルース」が最初なんですか!?

鮎川:そう。「キングスネーク・ブルース」が最初。

ジョニー:すげぇ! すごい話聞いちゃいました! 感動です!



――鮎川さんは曲を作られるとき、詞先なんですか?

鮎川:うん、もちろん。今でもそうよ。歌詞で言いたいことが、100年経ってもカッコイイか見ないとね。曲は作れない。ブルースはとくにそうやと思う。“今日、辛かったね!”っていうことを言う為にブルースは有るからね。



ジョニー:そうですね。「キングスネーク・ブルース」から日本語の曲を作るようになったんですか?

鮎川:そう。日本語の曲を作るようになった時期から、東京のバンドとの交流も出来て来て、よく博多に来るようになって。福岡にも夢本舗ちゅうプロダクション(イベンター)が出来て、吉田拓郎とかを呼んだりしてた。夢本舗の人達もサンハウスを応援してくれていたのもあったから、よくイベントに呼んで

くれていて。トランザムっていう東京のバンドとのツアーを組んでくれてたりもした。1974年頃には、上田正樹とか、大阪からはウエスト・ロード・ブルース・バンドとか、名古屋からはセンチメンタル・シティ・ロマンスとかも来て。地元から発信していける時代がきた気がしたんよね。あの頃はそうやって地元でのテリトリーみたいなのがあったし、自分の家にレコードもいっぱいあったし、なかなか上京しようっていうところに頭がいかなかった。俺たちにもテイチクからレコードデビューの話が来たんやけど、当時の俺たちは地元から出る気持ちがなくて。そしたら、上京しなくても力になりたいって言ってくれて。ただ、レコーディングは、機材の関係や環境もあるから東京でやってくれって言われて。そんで、1975年に『有頂天』ちゅうアルバムでデビューしたんよね。

ジョニー:それは東京でレコーディングしたんですか?

鮎川:そう。マガジンハウスが入っていた音響ハウスでね。

ジョニー:その頃もレスポールカスタムだったんですか?

鮎川:そう。1969年のね。津和野(津和野勝好)が買ったギターやけどね。津和野は、その当時ずっと博多でハコ(専属のダンスホールで演奏するバンド)しおったんよ。津和野が買うたって聞いて、触らせてもらいに行って。カッコ付けて津和野よりも先に写真撮って(笑)。津和野はいつもそのギターを勝負せないかんライブのときに貸してくれとったんよ。『有頂天』のレコーディングで東京行くときも貸してくれて。だから、『有頂天』は、借り物のレスポールで弾いたんよ。その頃、俺はストラトキャスターを買うとったんやけど、自分が望んで選んだんじゃなくて、当時のマネージャーが探して来てくれたやつやって。ずっとそれで弾いてたけど、やっぱりレスポールの音が最高やって。その頃、ヤマハがSG85っていうギターを作ったんやけど、それをくれて。1974年からは、しばらくそれを使っていたかな。それもすごく良かったけど、やっぱりレスポールは別よ。全然違う。メンバーみたいなもんで。“あぁ、そういう曲好きなんやね”って、ギターの方が分かってくれて、その音を出してくれるんよ。

ジョニー:ギターが出したい音を分かって出してくれるんですね! すごい! でも、その感覚分かる気がします!



鮎川:うん。なったごとよ。俺の人生なったごと。結局、サンハウスのメンバーは、誰1人として上京は望まんかったけ、東京に行くことはなかったね。でも、テイチクから次の年にもレコードをもう1枚出したけど、なんとなく日本でのロックのブームが少し去って、仕事があんまり来んくなって。ロックも、裏には商売が潜んどるとこも少しはあるかも知れんけど、でも、やっぱりロックは商業ではなく、教えてくれるものやから、その後もずっとロックと出逢ったときと変わらず夢中になれた。やっぱりロックは特別やったね。

ジョニー:俺たち首振りDollsは、去年の6月に上京して来たばっかりで、やっと1年なんですけど、鮎川さんもシーナ&ロケッツで上京を選んだんですよね? それはどうしてですか?

鮎川:シーナのお父さんの一言がキッカケやった。“あんたの曲は、使い物になるのか、ならんのか。やってみるだけやってみらんね。娘(シーナさんのこと)をほんとに幸せにしきるんか、こぎゃんとこに居るくらいなら、一回、東京で勝負してみんね。「ビールス・カプセル」とか、痺れとるばい、わしゃ。俺たち夫婦もまだ若いけん、子どもは任せて、思い切り、スパッと勝負してみい!”って言うてくれて応援してくれて。シーナも本当に応援してくれて。“歌がいるなら、アタシが歌とうてやるよ”って言ってくれたから、“なら歌って”みたいなね。

ジョニー:それが結成と上京の経緯ですね!

鮎川:そう。それで、勝負かけに東京に出たんよ。シーナのお父さんが“精一杯やって来いよ!”って言った、その“精一杯”を、今もずっと心に置いてる。東京でやっていくって大変や。北九州やら久留米はどんだけ気楽か。“精一杯やるのは今やけ”“金をケチらんと、今、金使わんでいつ使うね! 今勝負せんで、いつ勝負するんね!”ってね。その言葉が背中を押してくれた。

ジョニー:シーナさんも素敵だし、シーナさんのお父さんもすごく素敵な方ですね。

鮎川:そう。本当にね。本当に感謝しとるよ。

ロックは個人のハートやけ、 何処に生まれとっても すごい奴は生まれて来るんよ

ジョニー:鮎川さんは上京されて、拠点にする場所をどうして下北沢という場所にしたんですか?

鮎川:当時のディレクターと帰り道が一緒やったんよ。それで、通るうちに、いい街だなって思って。最初はたまたまやったんやけど、住んでみたら本当にいい街で。ジョニー吉長も金子マリも、昔は、Charも近藤房之助もおって。本当にいいとこやった。上京して来てから40年、ずっと下北沢やけ。思い出もいっぱい出来た。最初はメンバー4人で一緒に住んでたときもあったんやけど、その時期も本当に楽しかったしね。毎日みんなで同じレコード聴いたりして。あの頃、マディ・ウォーターズとか聴いてたかな。ブルースからニューウェーブまで、いろんな音楽聴いた。あれも今思えば、最高の合宿生活だったけね。シーナと暮らし始めた家には、ジョーイ・ラモーンも遊びに来たことがあったんよ。

ジョニー・ナオ:え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! ラモーンズの(絶叫)!!!???

鮎川:日本に来てもホテル暮らしやったから、日本の普通の家に来たのはウチが初めてだったみたいで、玄関で“シーナ、靴は脱ぐんだよね? 靴下も脱ぐのかな?”って言いよって(笑)。それくらい珍しかったみたいやね。ジョーイがウチに遊びに来るキッカケになったんは、ジョーイが日本に来てたときに、ボブ・ディランが他のミュージシャンをいっさい使わずに1人で作った「World Gone Wrong」っていう曲のビデオを持ってるって俺が自慢したら、“見たい!”って言って、家に遊びに来ることになったんよ(笑)。そんな気さくに遊びに来るとか、最高にロックな男よね。



――鮎川さんの周りには、素敵なロック仲間が集まってたんですね。東京に出て来ることへの不安はなかったですか?

鮎川:無かった。誰に頼まれてやることじゃなかったけ、楽しさしかなかった。東京に着いた途端に友達がたくさん出来たし。東京ROCKERSの面々ね。フリクション、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイトやらね。いっぺんに友達になった。一緒の音楽好きやったからね。そういう仲間が新宿ロフトとかに集まってたから。シーナ&ロケッツがエルヴィス・コステロの前座としてステージ・デビューを飾ったのは1978年やったね。



――す、すごいデビューですね!

ジョニー:規模がデカ過ぎてついて行けないです!

鮎川:あははは。そのとき、高橋幸宏さんが来てくれて、そこで細野晴臣さんを紹介してくれて。



――そこの規模も相当デカ過ぎですけど。

鮎川:一緒にアルファレコードでやりたいって言ってくれて。そんとき初めて契約書みたいなんを交わしたかな。俺たち4人もその契約書に名前を書いて、自分たちで契約した。



――シーナ&ロケッツの始まりの瞬間ですね。先程もお話に出てましたけど、キャッチコピーであったとはいえ、【めんたいロック】という一つの言葉を生み出したほど、九州から生まれた音楽の個性ってあると思うんです。

ジョニー:たしかに、最初のキッカケがザ・ルースターズだったからね。家にあった「どうしようもない恋の唄」のシングル盤を聴いて。おぉ! ってなって。

鮎川:1980年くらいだね。



――そういう、その街にいるからこそ生まれて来る感性みたいなものが、上京することによって失われてしまうんじゃないか? という心配はなかったですか? 首振りDollsが上京して来るとき、その不安は私自身少し感じたところがあったので。

鮎川:俺はね、上京して来て、埋もれてしまわないために言葉を考えたんよ。俺たちがどげん言うたら目立つかなと思って。それで、【東京にはロックが足りねぇ】って言うて。ギターとかもヒョロヒョロヒョロヒョロ弾いて、いろんなディレクターはうるさいし、キーボードもうるさいし、“ロックはギターだぜ!”って叫びたかったからね。上京して音楽を作る上では、やっぱりいろいろとあって、アレンジャーが“そこは揃わないとダメです!”とか言って来たりして。そんなことはどうでもいいことに思えたんよ。ロックが足りないし、船頭が多過ぎると思った。ロックは1人から出て来るもんやけ、面白い奴がおったら好きにさせるのが1番やけね。でも、福岡の為にギター弾こうとは思ってない。そんな風に思ったらその街の人が迷惑やもん。キャッチコピーで【めんたいロック】って言うのはいいけど、ロックは個人のハートやけ、何処に生まれとってもすごい奴は生まれて来るんよ。街がロック寺子屋みたいな場所を作って、そこを卒業したちゅうてロックは出来んのよ。今、するかせんかなんよ。弾けって言われたときに、弾けるか弾けんか、出来るか出来んかなんよ。“やってみ”って言われて、“ちょっと持ち帰って明日やります”って言うたら、もうその時点で、チャンスや世界は次の人に行く。そういうもんやけ。“今”やれるかやれんかで決まるんよ。僕ら、郷土は大好きだよ。自分の地元の久留米も大好きやし、シーナの生まれた若松も大好きやし愛しとるし、そこに生まれたこと、そこで育ったことを誇りに思っとるし、そこに生まれたからこそ聴けた音楽ももちろんあったし、そこに生まれたからこそ聴けずにジリジリしたこともたくさんあったと思うし。なんでも揃う東京に最初からおったら、あり過ぎてさ。人の意見も多かったやろうし。でも、福岡っちゅう芸好きで、目立ちたがり屋が多い街に生まれて、そこで育ったからこそ、美意識も審美眼もあるロックファン気質になれたんやろうなって思うよ。川筋者(かわすじもん)ちゅうのが北九州を支配しとるんよね。気っ風の話やけ。俺自身も、宵越しのお金は持たないっていう、一晩で使い切るっちゅうのが北九州の気質と、“よぉきんしゃったね〜”っていう大陸からの玄関口だった博多の気質と、相まった気質やけね。その気質も好きやし。上京したからちゅうて、九州を捨てたわけじゃない。でも、やっぱり、出て来たからには勝負せないかん。



ジョニー:本当にそうですね。

ナオ:(映像を撮影していたナオが会話に入りたくてソワソワしだす)くぅ〜。めっちゃいい話ですね! 私も参加したいです!



――そろそろこの辺りでナオも参加させてもらっていいですか(笑)?

鮎川:いいよいいよ、ナオも入り(笑)。シーナもナオのこと気に入っとったしね。ナオには、『You May Dream〜ユーメイ ドリーム』(2018年3月2日に九州・沖縄地方で放送されたNHK福岡放送局制作の福岡発地域ドラマで、後に全国放送もされた)にも出演してもらったよね。

ナオ:はい! 私は最初、柴山さん役で『You May Dream〜ユーメイ ドリーム』の出演のお話を頂いていたんですけど、ツアーの日程と重なってしまって、お受け出来なかったんですけど、どうしても参加させて頂きたかったので、スケジュールをお預けしたら、川嶋さん(川嶋一秀)の役を頂けて。

鮎川:そうね。ありがとう。あ、でも、そうだったの? 最初は柴山の役だったの? 普通にナオはドラムだから川嶋の役だったのかと思っとったよ。でも、忙しいところスケジュールを合わせて出てくれたんやね。ありがとう。

ナオ:いえ、そんな! こちらこそ、光栄です! 

鮎川:ちょうどそのドラマの頃が1978年頃のお話で。サンハウスは、3rdアルバム『ドライブ』の発売と同日の1978年3月25日に区切りをつけたんよ。で、4月に仕事を求めて東京に行った。ギターでお金を稼げるかどうかなんて、確信は全く無かったけど、半信半疑で。でも、人に指図されるような人生は嫌だったから、プロダクションからの話が来ても絶対に何処にも属さなかった。“俺たちだけでやるから”って、全部の話を断って。“これが俺たちやけ”っていう確固たるものがあったか? って言ったら、その頃の自分たちにそこまで確立したものがあった訳では無かったけど、なんか自信だけはあったんよね。サンハウス時代にブルースもいっぱい聴いてきとるし、柴山さんという詩人が描く素晴らしい歌詞と共に曲をたくさん作ってきたし、シーナはサンハウスの頃からずっと一緒におったから、サンハウスの曲は全部歌えたし。自信だけはあったんよ。

ナオ:私、小さい頃からサンハウスを聴いて育ったので、サンハウスが取り入れたブルースを、最初に聴いているんですよ。それで、後から“あ、このフレーズ!”って思った事があって。歳を重ねるごとにいろんな音楽を遡って聴くようになって、改めて鮎川さんのルーツを知ったみたいな感覚だったというか。すごく楽しい音楽の聴き方して育ったなって思います。

鮎川:そうやね。俺も子供の頃から音楽の側に居るのが望みやった。

ナオ:はい! 一生音楽の側に居たいです! 鮎川さんはそんな生き方をしていらっしゃるから、本当に羨ましいです! 鮎川さんみたいに生きられたら最高だなって思う。

ジョニー:ギタリストとしても、人生の先輩としても憧れです!

鮎川:ありがとう。



ナオ:ひとつ聞いてもいいですか? サンハウスのときと、シーナ&ロケッツのときとは、音楽を届ける側としての感覚の違いってあるんですか? ボーカルが違うからか、シーナさんの人柄が出ているのか、シーナ&ロケッツの方がロックでも、どこか包み込んでくれるような優しさを感じるんです。

鮎川:そういうことなんかもしれんね。シーナに“こんな感じで”っていうと、すぐに分かってくれて、とにかく曲の中でも応援してくれてる感覚だったというか。“まこ、ここで行き!”っていう最高の瞬間をくれるというか。シーナはね、ハードルの選手やったから、ものすごく走るのが速かったんよ。

ジョニー:ヘェ〜!

ナオ:あ、聞いたことある!

鮎川:自慢しとったやろ(笑)? お父さんはダンスの先生やったから、チャチャチャから、マンボからジルバからツイストから、50年代から全部シーナは教わって来とるからね。サンハウス やってた頃は、シーナのそんなとこには気付かんかったけど、サンハウスの曲を作っていたときも、ちょっとリズムが欲しいから茶碗叩いてって言って、シーナにお茶碗でリズムを叩いてもらって曲作っとったんよ。それをカセットに吹き込んで柴山さんたちに聴かせて、そこからバンドで上げてった。上げるってよく言ってたけど、上げるというのは、仕上げるという意味ね。メンバーと同じヴィジョンを持っていれば、途中であれ? ん〜、こうじゃないかな? って迷ったとしても、絶対に楽しい完成形が待っているから。なんも心配することはない。ロックに間違いなんてないんやから。ライブで間違えたとしても、そこから挽回するとこで面白いギターが弾けたらそれでいいんやし。決められたことなんてしなくていい。ものすごい曲というのは、もう曲が俺たちを支配しとる。こうせないかんとか、ああせないかんとかじゃなく、これはこうよちゅうて導かれとるというか。曲の下僕やけ、俺たちは。曲は全てなんよ。ライブでは、そんなにたくさんの曲を演奏出来ないけど、自分たちの曲があるっていうことは、本当に素晴らしいことなんよ。

ジョニー:深いですね。本当にその通りかも。

ナオ:昔、ジョニーが私に言った言葉なんですけど、“ロックンロールには物語が必要だ”って言ったんですよ。その言葉がすごく自分の中にずっとあるんです。

鮎川:本当にそうよ。シーナもよく言いよった。“ロックは3分の映画だ”って言っとった。

ジョニー:まさにその通りだと思います! 本当に3分の物語なんですよね!

鮎川:そう。その中に想像やらイタズラ心やら、夢やらをいっぱい詰め込むんよね。

ナオ:本当にそうですよね。歌詞も含め3分の物語ですからね。

“お前、最高に生きろよ”と 言ってくれるのがロック

ナオ:私、ドラマを演じさせてもらって思ったんですけど、サンハウスももちろんですけど、シーナ&ロケッツって、本当にバンドが人生そのものだし、ドラマだなって思ったんです。

鮎川:そうね。子供が出来て、そのタイミングでバンドが結成されて上京して。本当にドラマみたいだった。俺たちの頃は前例が無かったから、なんでもやれたからね。でも、あの頃の気持ちと今もロックに対する気持ちは何も変わっとらん。この取材に来る前まで、編集をしとったんやけど、さっきもちょろっと話したけど、今、友部と三宅と俺の3人で3KINGS(鮎川誠・友部正人・三宅伸治)っていうバンドをやっとるんよ。3KING RECORDSっていうのを作ってて。自分たちがやる前にも日本語のロックっちゅうのはあったと思うけど、アティチュードっていうのかな、自分らがブルースからもらったあのフィーリングっていうのは、高田渡から自分は教わったのかもしれんなって思う。はっぴいえんどの細野さんが作るウエスト・コーストミュージックやサザンビートを取り入れてロックを作るっていうのは、もうお手本があったからね。

ナオ:すごく分かります。私も生まれる前の日本のロックも大好きだし、フォークも歌謡曲も全部好きなんで、いろいろと自分なりに分析するんですけど、サンハウスって歌詞もサウンドもやっぱり最高なんですよね。独特というか、唯一無二というか。

ジョニー:僕もそう思います。サンハウスの1stアルバム『有頂天』の音こそがロックだと思っているんです! 日本のマーシャルとギブソンの音はこれだと勝手に思ってるんです!  死ぬほど聴きましたし、いつのまにか手癖になるくらい弾いたんです。鮎川さんのギターこそが、日本のロックだ! って。

ナオ:分かる! 夢中になったのは、きっと鮎川さんのギターだと思う! シーナ&ロケッツのギターもなんですけどね。

鮎川:ありがとう。そうかもね。よそのバンドよりもギターの役割は多いかもね。



ジョニー:本物だなって思います。本当に理想の音というか。その音を出したくて、あんな風に弾きたくて頑張ってる気がするんです。

鮎川:分かるよ、その気持ち。ギタリストとしてね。俺もピーター・グリーンみたいに聴こえる様に弾きたい! とかね、ロキシー・ミュージックも大好きだったから、フィル・マンザネラみたいな発想でギターを弾いてみたい! とか、そのときそのときで思うよね。なんていうかな、ロックと繋がっていたいんよね。曲を作るとき、こんなイントロで始まったらカッコイイとか、ここから歌い出したらカッコイイとか、終わりはこんな風に終わろうとか、最初は大きな設計図があるんよね。そこはみんながヴィジョンやイメージを共有してるから、それでいいんよ。それも含めて自分達しか出来ない、自慢すべきことなんよ。デヴィッド・ボウイやイギー・ポップみたいに新しい試みをしよる音楽からもたくさん影響を受けたけど、ギター1本のフレーズからロックは始まっとるというのは、長くブルースバンドをやって来たから分かるところなんやろなって思う。歌がカッコ良くないと。テンポで音楽を作るわけでもないし、コードで作るわけでもないし、人間の声やけさ、それがどうカッコ良く聴こえるかっていうところでギターを弾くんよ。ガーンって、歌い出したときに一緒に音を出して、ジャッだけ大きくして、あとはミュートするんよ。そうすると歌が抜けて来る。ギターを主張しようと思ったら、歌を消してしまう。それじゃダメだから。ロックのギターは、歌の為に弾くんやから。

ジョニー:(完全に対談であることを忘れて無言で聞き入るジョニー)

ナオ:シーナ&ロケッツの『ROKKET RIDE』を聴いたとき、アルバムを通して、こんなに激しい音色なのに、歌がすごく飛んで来るし、抜いてるところは抜いてるし、すごいなって思ったんです。音の在り方がすごい。

鮎川:そんなふうに聴いてくれたら嬉しいよ。“これがロックたい!”っていうのを、まだまだこれから見せ付けていこうと思ってるから。3KINGSの他にも、三宅伸治と2人でTWO TRAINSっていうバンドもやっているんだよ。

ナオ:なんですかそれ! めちゃくちゃカッコイイ名前じゃないですか!

ジョニー:どんなサウンドなんですか?

鮎川:TWO TRAINSには、忌野清志郎の血も入って来るんよ。「ロック・ミー・ベイビー」も演るし、「レモンティー」も演る。2人だけだからものすごいロックが出来るんよ。三宅が足でリズム取って、それをマイク付けてベーアンに繋いで音を出すんよ。それがカッコイイんよ。

ジョニー:カッコイイ! 見たいです!

鮎川:シーナ&ロケッツももちろん、メンバーは奈良と川嶋だし、誇りを持ってるからね。みんなに聴いて欲しい。70年代のウッドストックみたいな感動をもう一度再現したい。まだ夢見てるよ。みんながそれぞれ違う考え、違う個性を持っていて、喋る言葉がなまっているとか、余計なことを言われる様なことがない、“お前が最高たい!”ち言いよる音楽がロックなんよ。“お前、最高に生きろよ”って言うてくれるのがロックやけん。そんな音楽を叫びたい。ロックが俺を育ててくれたし、生かしてくれとおし、まだやれるけ頑張りって言ってくれとる。俺が生きとるのはロックとシーナのおかげ。みんなに出逢わせてくれたんは、本当にシーナのおかげやと思っとる。シーナのボーカルでギターを弾けたことで、どんだけイイカッコさせてもろたか分からんと思うよ。

ジョニー:はぁ〜(完全に対談であることを忘れて無言で聞き入り、感動するジョニー)。



鮎川:シーナとは、36年一緒にやってきたけど、どんどん上手になってったわけではなかったんよ。そのときからいつもフルスロットルやった。コステロのオープニングアクトやったときも、“こんな若造に負けてたまるか! ちょっとメガネが似とるくらいで、絶対に負けん!”って思いながらステージに立ったからね。でも、コステロも、シーナが楽屋に遊びに行って、シーナが英語の歌詞カードを見て写した、自分用の歌詞ノートにキンクスの歌詞が書いてあったのを見て、ものすごく喜んで、“あ、ここは違う違う”とか言って、ペンを持って来て直してくれたりしよって。

ジョニー:すげぇ(感動)。

ナオ:もう話のレベルが違いすぎて、“すげぇ”しか言えんよね(笑)。でも、みんなロックに魅せられる感じは同じなんだなぁ〜。

鮎川:本当にそう。みんな憧れてるんよね、ロックに。ロックに生かされとるんよ。



――2月14日にリリースされた、シーナさんのラストレコーディング7曲も収録された“ライフタイムカバーアルバム”『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』には、そんな憧れが詰め込まれていますよね。聴かせて頂きました。

鮎川:おぉ、ありがとう。

ジョニー:僕も聴かせてもらったんですけど、本当にめちゃくちゃよかったです! 本当に。すごくカッコ良かったです!

鮎川:最高たい。本当に最高のアルバムやと思っとるけ。あんな形でアルバムが出せたことが本当に嬉しい。



――キャリア初のカヴァーアルバムですもんね。こんなにも音楽を続けてらして、キャリア初というのがすごいです。今までもカヴァーはしてきていらっしゃいますけど、なぜ、今まで“カヴァーアルバム”としてはリリースされていなかったんですか?

鮎川:カヴァーっていうのは、バンドの腕の見せ所やと思っとったし、そのバンドの素姓が何処から来とるかっちゅうのが分かるとこでもあると思うから、そこをファンの人に知ってもらえるのはとても楽しいことやし、ファンも嬉しいだろうから、これまでもちょくちょくは作品の中に入れて来たんやけど、カヴァー曲ばかりでアルバムを作るというのは、昔はちょっと自分たちのプライドもあったというか。自分たちでも曲を作って歌っているから、それを1曲も入れんとカヴァーだけでアルバムを作ったら、曲が出来ないからカヴァーアルバムで誤魔化してるんじゃないか? って思われるのが嫌っていう思いがあったからね。

ジョニー:なるほど。でも、本当に、カヴァーってバンドの腕の見せ所だし、そのバンドの素姓が何処から来てるかが分かるから楽しいですよね。すごく分かります、それ。

鮎川:カヴァーってやるのも楽しいからね。俺たちはスタジオに入るとき、いつもカセットテープにリハの音を録音していたんだけど、毎回思い付いたカヴァーをしてみたりしてたんやけど、今もそのカセットテープは取ってある。

ナオ:宝物ですね。

鮎川:そう。俺だけの宝物。



――素敵な宝物ですね。本当に世界に1つしかない宝物。

首振りDollsも 東京に来たんやから、 “今”やらんと。

――今回、『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』の中で個人的にめちゃくちゃ好きだったのは「KISS KISS KISS」のピッキング。最高でした!

鮎川:良いよね! あのピッキング! そうなんよ。あれにもストーリーがあってね。オノ・ヨーコがスタジオに来てくれるんよ。せっかくヨーコさんが来てくれるなら、ジョンの曲かヨーコさんの曲をやりたいね! って言うて。ニューヨークでの話なんだけどね。それで、シーナが「KISS KISS KISS」を歌いたいって言ったから、じゃあそれにしようって決めて。みんな“ヨーコさんに聴いてもらえるかもしれないから!”っていう想いで演ったから、ものすごい力が発揮されて(笑)。あれは1発録り。俺たちからのラブレター。下手な字で書いたラブレターで良い。ヨーコさんとても喜んでくれて、家にも招待してくれたんよ。



――カヴァーって、またオリジナル曲とは違った思い入れがありますからね。そこも含め、愛しさがサウンドに詰め込まれてる気がします。

鮎川:そうね。本当に。好きなアーティストの曲ばっかり集めて入れてあるからね、今回も。ただ、最初はシーナのラストレコーディングの7曲だけを出したかっただけだったんよ。本当は、『ROKKET RIDE』を作ったときに1日余ったけ、次のアルバム用にちょっとスケッチしようかって、“んじゃあ1曲目何にしようか「Loudmouth」やってみよか!”って。イントロかき鳴らしたら、シーナが隣で“You're loudmouth baby!”って叫びよって。

ジョニー&ナオ:おぉ〜〜〜〜! いいですね!

ナオ:テンション上がりますよね! 

鮎川:そう。でも、「Loudmouth」弾いてたとき、途中で弦が切れたんよ。肝心なとこでね。始まってすぐのとこ。

ジョニー:え〜〜~っ!? で、どうしたんですか?

鮎川:辞めたらカッコ悪くなると思って、最後まで弾き続けた。ちょっと変な音になっちゃうけど、なんとかなるから! 

ジョニー:すごい。でも、それこそロックですよね!

鮎川:そうやね。

ナオ:カヴァーがバンドの腕の見せ所というところなんですけど、私が初めて「You Really Got Me」って曲を知ったのは、初めてこの曲を聴いたのは、シーナ&ロケッツだったんです。1番最初に聴いた「You Really Got Me」は、シーナさんの歌声なんです! だから、自分の中での「You Really Got Me」って、シーナ&ロケッツなんですよね〜。その後に聴いたのが、ヴァン・ヘイレンの「You Really Got Me」でした!



――あ、私の最初の「You Really Got Me」はヴァン・ヘイレンだったなぁ(笑)。

ナオ:私はさらに、ヴァン・ヘイレンから、大元のキンクスに辿り着いたんです(笑)!

ジョニー:ロックってそういうもんですよね!

鮎川:そう。ロックってそういうもん。「You Really Got Me」の歌い出しは、“Girl, you really got me〜”なのに、シーナは最初からBoyって歌っているからね(笑)。ロックっていうのはそういうもんたい。やらされたロックじゃない。自分がロックで遊んどるんよ。自分たち流になっとるというか、せんといかんのよ。

ジョニー:すげぇ。やっぱカッコイイ!

ナオ:でも、本当にそうだもんなぁ。俺の中で「You Really Got Me」は、Sシーナ&ロケッツの曲なんやもん。

ジョニー:そうなったら勝ちよね。

ナオ:うん。そうよね。シーナ&ロケッツの音楽は、我が家では私が生まれた頃から既にそこにあったものだったんです。

ジョニー:そう。普通にもう実家にあったよね。

ナオ:そう。生まれる前からあった。

鮎川:ね〜。そう思うとすごいことだよね。幸せなことだよ。こんなに歳の離れたロック友達が出来るなんて。ものすごく嬉しい。

ジョニー:友達だなんて! そんなふうに言ってもらえてこっちこそめちゃくちゃ幸せです!



ナオ:高塔山ジャムで対バンさせて頂いたときの打ち上げで乾杯の後、鮎川さんとお喋りさせて頂いたんですけど、そのとき鮎川さんが、“もう俺たちはロックファミリーやけ”って言ってくれたんです。俺、その言葉が嬉しすぎて忘れられないんです! めちゃくちゃ家族に自慢しましたもん!

鮎川:今もその気持ちに変わりはないよ。俺たちはロックファミリーやけ。

ジョニー:僕は、そのとき、シーナさんと写真撮ってもらったんですよ。でも、やっぱり緊張して、ちょっと離れて隣に立たせてもらったら、シーナさんが、“もっと近付きなさいよ!”って、ギュッと肩を引き寄せてくれて。すごく嬉しかったんです!

鮎川:おー、本当? そんなことがあったとね? きっとシーナも嬉しかったろ。

ナオ:“可愛いね”って言ってもらったのすごく嬉しかったんです!

鮎川:シーナ、ナオのこと好きやったけね。

ナオ:わぁ〜! 鮎川さんに自分の名前を呼んでもらえるのだけでも嬉しいのに、そんなこと言ってもらえて光栄です! 嬉しいです! 純粋に!

鮎川:首振りDollsっていいやん、ニューヨーク・ドールズみたいで。

ジョニー:おぉ! まさに首振りDollsのドールズはそこなんです!

鮎川:うんうん、分かるよ。サウンドも最高たい。最高のロックやん!

ジョニー:嬉しいです!

ナオ:本当に最高に嬉しいです! ロックンロール・ゴッドにそんなこと言ってもらえるなんて!

ジョニー:最高です! 頑張れます、俺!

ナオ:本当よね。鮎川さんの言葉一つ一つは、本当に大切なメッセージやなって思う。“みんな憧れのロックバンドに憧れて、それに近付こうと頑張る”って、さっき鮎川さんがおっしゃってたけど、ジョニーのギターも鮎川さんへの憧れで形成されているし、私自身、ステージで着物を着て歌ってるのは柴山さんへの憧れだし、ステージで髪を大きく立ててるのはシーナさんへの憧れでもあるんです!

鮎川:ありがとう。でも、みんなそうだよね。みんなそういう憧れから繋がれていってる。俺もそうやし、ミックもそうやし、キースもそうやし、もっと言うなら、神様ボブ・ディランだってそうだと思う。全部同じ音楽だからね。みんな憧れから繋がっていってる。それは、ナオもジョニーも俺もミックもキースもエリック・クラプトンもみんな一緒。それがロック。けど、自分が人にとってそういう存在になれてるのは嬉しいことだね、それ。ありがとう。

ナオ:いえいえ、ありがとうって言わなくちゃいけないのは私達の方です!

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